2013年10月2日水曜日

うた時計のもと

夜長なので引き続き、立て続けにすみません!


ホームページにも書いていますが、この度立ち上げた『うた時計プロジェクト』。
このもとになった、介護のことを、やっぱり少しお話しておこう、と思います。
ちょっと腰をすえた文章になるので、どうかお時間の許すときに。


私は、祖母の介護をしたことで、これまでたくさんの方にほめていただきました。
それは、祖母のはかりごとだ、企てだったのだ、と今になって思います。

音楽という不安定なお仕事を選んだ私が、誰からもとがめられないように。


祖母には、とにかく感謝の気持ちしかありません。
そして歌も手伝いも、心配りも、出来なかったことたちの後悔は、やっぱり消えません。

Aura以外はほぼ一緒でしたので、大抵3食を共にして過ごしていました。
一対一の時間。認知症のせいで出る、悪気のない言葉とわかっていても、
なかなか受け入れられません。

自分はこんなにやさしくない人間だったのか、と思う。
いっそのこと消えてしまいたい、と思う。
死にたいじゃなくて、消えたい。
とがったものを手に、でも、勇気が出なくて、傷つけられませんでした。

祖母は歌が大好きで、私は一緒に歌ってあげたかったのですが、
歌おうとすると涙が出て、まったく歌えませんでした。
なんでだろう、と思い音楽療法士さんに尋ねると、
「それは、あなたが癒されたいから、癒されないといけないから」
とのことでした。

決して辛いことばかりではなく、一緒に通院したり、美容院へ行ったり、
祖母が頼ってくれることがうれしくて、幸せでした。
あったかい気持ちになりました。
家が大好きな祖母を、施設に行かせたくありませんでした。

だから明日からは、絶対歌おうと心に決めた次の日、
祖母は遠くへ行ってしまいました。

それをリベンジすることは、どうしたってもう叶わないのに、
命日の度に歌のお仕事が届いて、私はもらうばっかりで、幸せばっかりで、
ごめんなさいと、ありがとうを繰り返しました。

うた時計は、ソロになったら、一番したいことでした。
祖母がくれた経験を、ただ生かしたいと思って、立ち上げました。
私はなんら変わっていませんが、もし必要とされたなら、歌いに行きます。



ということで重たい文章、ごめんなさい!
最初なので、けじめに書きました。もうしません(笑)

家族をはじめたくさんの方が、祖母も私も支えてくださったことに、
改めて感謝を申し上げます。
本当に、ありがとうございました。