夜長なので引き続き、立て続けにすみません!
ホームページにも書いていますが、この度立ち上げた『うた時計プロジェクト』。
このもとになった、介護のことを、やっぱり少しお話しておこう、と思います。
ちょっと腰をすえた文章になるので、どうかお時間の許すときに。
私は、祖母の介護をしたことで、これまでたくさんの方にほめていただきました。
それは、祖母のはかりごとだ、企てだったのだ、と今になって思います。
音楽という不安定なお仕事を選んだ私が、誰からもとがめられないように。
祖母には、とにかく感謝の気持ちしかありません。
そして歌も手伝いも、心配りも、出来なかったことたちの後悔は、やっぱり消えません。
Aura以外はほぼ一緒でしたので、大抵3食を共にして過ごしていました。
一対一の時間。認知症のせいで出る、悪気のない言葉とわかっていても、
なかなか受け入れられません。
自分はこんなにやさしくない人間だったのか、と思う。
いっそのこと消えてしまいたい、と思う。
死にたいじゃなくて、消えたい。
とがったものを手に、でも、勇気が出なくて、傷つけられませんでした。
祖母は歌が大好きで、私は一緒に歌ってあげたかったのですが、
歌おうとすると涙が出て、まったく歌えませんでした。
なんでだろう、と思い音楽療法士さんに尋ねると、
「それは、あなたが癒されたいから、癒されないといけないから」
とのことでした。
決して辛いことばかりではなく、一緒に通院したり、美容院へ行ったり、
祖母が頼ってくれることがうれしくて、幸せでした。
あったかい気持ちになりました。
家が大好きな祖母を、施設に行かせたくありませんでした。
だから明日からは、絶対歌おうと心に決めた次の日、
祖母は遠くへ行ってしまいました。
それをリベンジすることは、どうしたってもう叶わないのに、
命日の度に歌のお仕事が届いて、私はもらうばっかりで、幸せばっかりで、
ごめんなさいと、ありがとうを繰り返しました。
うた時計は、ソロになったら、一番したいことでした。
祖母がくれた経験を、ただ生かしたいと思って、立ち上げました。
私はなんら変わっていませんが、もし必要とされたなら、歌いに行きます。
ということで重たい文章、ごめんなさい!
最初なので、けじめに書きました。もうしません(笑)
家族をはじめたくさんの方が、祖母も私も支えてくださったことに、
改めて感謝を申し上げます。
本当に、ありがとうございました。